好きなものだけ、食べさせて

好きなものだけ、食べさせて

LIFE

数年前、結婚したての友人と食事した時に、彼女が偏食家になっていることに気づいた。以前は食べていた野菜に手を付けず、肉ばかりに手を伸ばしていた。

なんで野菜を食べないのと聞くと、彼女はこう答えた。

人生で食事をとる回数は決まっているから、嫌いなものを食べるのはもったいないんじゃないかと思って。

ぼくは内心とても納得していたのだけれど、「いやいや、野菜も食べなよ。体に悪いでしょ」と、つまらないことを言って一般人代表みたいな顔をしてしまった。


ぼくはチキンラーメンと梅干しが苦手だ。

梅干しはまだ加工(梅肉ドレッシングとか)されていれば平気。でも、チキンラーメンは全く舌に合わない。どう工夫しようと体が拒否してしまう。

もし、白飯の代わりにチキンラーメンを主食とする世界に迷い込んでしまったら、心底絶望して生きる気持ちが湧いてこなくなると思う。

当たり前だけど、食べたいものだけ食べる人生は幸せに溢れているのだ。

ぼくは栄養士の資格を持っている。

資格取得のために勉強していた学生時代にも、好きなものを食べて短く太く生きる方が人生として充実しているのではと友人とよく話していた。

これは短大入学後に栄養士の収入の低さを知り、その存在意義を疑って勉学を疎かにしていた自分を肯定するために、自分自身に言い聞かせていただけなのだけど。

それでも、間違いなく好きなものだけ食べて死ぬ人生は悪いものではない。少なくとも否定されるようなものじゃあないはずだ。


つい最近、その「偏食宣言」をしていた友人と久しぶりに食事をする機会があった。

彼女は小さな男の子を乳母車に乗せて現れ、周りに気を使わなくて済むからと回転寿司屋に入った。

ぼくは光り物が好きなので、アジやイワシを食べる。納豆巻きも食べられるけど、好んで食べるほどではないので絶対に頼まない。消費される食事の回数がもったいない。ぼくは友人の偏食宣言に同意している。

一方、友人は自分の食事どころではなかった。メニューから我が子が食べられるものだけを選び、我が子が食べやすいように携帯用の調理ハサミで玉子焼きをきざみ、我が子が食べている合間に、我が子が残したものや、たまたま残っていた皿の寿司だけを選んで食べていた。

ぼくはその姿を眺めがら、二皿目のアジに手を伸ばした。